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松風軒のあるこの稲荷町は江戸時代宿場町を囲む「五ヶ島」と呼ばれた村方の一つで、往時は「稲荷島」と呼ばれたところでした。
この稲荷島の住民の墓地や無常処(火葬場)に、亡くなった方の供養のために建立したのが、松風軒の始まりと思われます。
本尊の地蔵菩薩は、死後六道輪廻(死後に生まれ変わるという六つの苦しみの世界)に苦しむ衆生を救ってくれる菩薩として信仰された仏様です。
この地蔵菩薩を祀るお堂に、開基の弾山黙悟尼という尼僧が住職となって、仏事供養をしました。
最初は地名を取って「稲荷山地蔵庵」と称したようですが
「静居寺過去帳」には「五代達相弁了庵主(寛政八年 一七九六寂)松風軒看寺」と記されていますから、
寛政の頃には「松風軒」と称する珍しい軒号の寺院名に変えたようです。
また「駿河記」(文明九年 桑原藤康著)や「駿河志料」(文明元年 中村高平著)には「稲荷庵」と記されています。
この珍しい「軒」号のついた寺院は県内二三〇九ヶ寺のうち、浜松市春野の洞水軒と松風軒の二ヶ寺だけです。
松風軒のもう一つの特色は、歴代の住職に尼僧様が多かったという事です。
北陸地方では現在も尼僧寺院が多いのですが、静岡県は尼僧様が少ない県です。
この松風軒十二代の住職の内7名は尼僧様であり、また看寺をいう補佐役の8名の和尚様も皆、尼僧様です。
松風軒は尼僧様の寺院として伝統を守ってきましたが、戦後は女性の出家が少なくなりましたから、この伝統は消えました。
しかし昭和五十二年には庫裡と客殿を新築し、さらに看寺俊道師の代に庫裡を増築し、国道沿いの寺としての存在を新たにしています。